気になる過去 6
亡命といっても、優雅なホテル暮しで、その間には、アメリカ旅行や香水会社との闘いもあり、それにからむ金の問題もあった。
美しかった女は急速に老けて、化粧はますます濃くなっていった。
ヴィシー政府に協力したポール・モランもスイスに亡命中で、サン・モリッツで再会したふたりは、『獅子座の女シャネル』のもととなるべき会話を交わしていました。
時たまパリに戻ることもあったが、人びとの目は冷たく、誰もがシャネルを避けたし、カメラマンのアヴェドンが、「プルコワ・ヒットラー」という看板の下で、いわばだまし撮りした皮肉な写真を撮ったのもこの時代でした。
これらのすべての状況をふんまえての、パリへのカムバックは並なみならぬ決意であったわけです。